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砂場

 蕎麦店名御三家、藪蕎麦・更科と並ぶ砂場の話です。
 
 砂場の初出
 1847年の「日本二千年袖鑒」の中の津国屋の挿絵に「天正十二年 根元そば名物 砂場」とあるそうです。天正十二年は西暦1584年です。と、これを信じればこの項は終わりです。しかし、1584年では古すぎます。「麺としての蕎麦・蕎麦切」で蕎麦切りのはじめですら天正二年(1574年)が初出なのですから。第一この書物が出されたのが1847年ですから、ちょっと眉唾ものです。
 ちなみにこれは難波での話です。この後の砂場も出始めは難波なのです。うどん文化の関西で有名な蕎麦屋の名が発祥したのは面白いですね。
 では初出の砂場はと言うと、1730年の「絵本御伽品鏡」だそうです。ですから1730年以前という事ですね。ここに出てくる砂場は「和泉屋」という正式屋号です。ではなぜ「砂場」かと言うと、遊郭の横に砂場(荒れ地?)があり、そこに店を構えたので「砂場」です。発想は藪蕎麦と同じですね。
 この後、1757年の書物には和泉屋と並んで前出の津国屋が出ているそうですので、津国屋はこの間の創業じゃないかと推定出来ます。
 
 江戸時代のファミリーレストラン
 この和泉屋の砂場はこの後も書物に沢山出てきます。その中の「摂津名所図絵」に見られる和泉屋はとてつもなく広く大ぜいが入れて大ぜいが働いて(百人いたという)いる様子が描かれています。まるで現代の大きなファミリーレストランのようです。いや、それ以上でしょう。その人気の秘密は安くて美味くて量が多いという事のようです。これは今にも通じますね。
 
 江戸での砂場
 そんな和泉屋の砂場ですが幕末のころ廃業したようです。
 では江戸での砂場はいつからか?はっきりしないようです。1751年の「蕎麦全書」の中に、薬研堀に「大和屋 大阪砂場そば」とあるそうです。その頃には江戸にも砂場があったという事ですね。「大阪砂場」とあるので或いは和泉屋の系列かもしれませんね。
 
 現代の砂場
 江戸時代から続く砂場は「糀町七丁目砂場藤吉(現・南千住砂場)」ここから暖簾分けされた「室町砂場」「虎ノ門砂場」。「室町砂場」から暖簾分けされた「赤坂砂場」。
 系列は違いますが江戸時代から続く「巴町砂場」などが「砂場」の中心的存在でしょうか。
 1956年には商標登録されたとのことです。
 
    <参考図書 『蕎麦年代記』 新島繁著 柴田書店>
    <参考図書 『改定新版 蕎麦辞典』 植原路郎著 中村綾子改定編集 東京堂出版>
    <参考ホームページ http://www.geocities.jp/sjtsunoda/food/soba-gosanke.htm