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麺としての蕎麦・蕎麦切

 蕎麦切の初出
 室町時代まではまだ麺としての蕎麦は登場しないようです。太閤秀吉も蕎麦掻や蕎麦掻餅(そばかいもち)を好んだとあるようです。蕎麦掻は今の蕎麦掻のままでしょうか。蕎麦掻餅(そばかいもち)は練って餅状にしたものでしょう。それを焼いたりして食べたのでしょうか。
 では蕎麦切の初見はと言うと、長野県の定勝寺に残る「定勝寺文書」の中の天正二年(1574年)の文章に「ソバキリ」が振る舞われたと出てくるそうです。信長のころですね。次に出てくるのは「慈性日記」の慶長十九年(1614年)ですから、40年古いですね。まだこのころは一般的ではなかったかもしれませんね。蕎麦切が一般的になったのは江戸時代になってからと理解していいと思います。
 その後の出典も蕎麦切は寺で出されるか、茶の席で出されるかで、しばらくは庶民の食べ物では無かったようです。
 
    <参考図書 『蕎麦年代記』 新島繁著 柴田書店>